筑波大学講師でもある岡田和子先生による考察3

覆された製鉄の起源(6)~(9)

  • 比較文化の学者であり、筑波大学講師でもある岡田和子先生による「覆された製鉄の起源(6)~(9)」を掲載しております!

    比較文化の学者であり、筑波大学講師でもある岡田和子先生による「覆された製鉄の起源(6)~(9)」を掲載しております!

覆された製鉄の起源(6)

 冒頭の表でNo.5となるこの鉄の小刀は、結局《はがね》であると考えられます「はがね」ではなく、「鉄器」です。出土した地層は青銅器時代前期で、ヒッタイト古王国の始まりより300~400年も遡ります。これを図示すると図6のようになります。

right

 分析対象は、2005年に調査されたNo.1の地層(ⅢC層)のさらに下、第Ⅳa層からもたらされた遺物です。No.3は、出土年代が<紀元前22~20世紀ごろ>、すなわち紀元前2100~同1900年代ですから、第Ⅳb層の可能性もあるわけですが、とにかくNo.3は「最古の《はがね》」No.5No.3とほぼ同年代の「最古の《鉄器》「人工鉄」の鉄器=世界最古の《はがね》です。アッシリア商人の製鉄関与説も、これで吹き飛んでしまいました。原料鉄と炉が出土したことから、ここで実際に鉄が作られていたのではないか。製鉄は、ヒッタイトでもない、アッシリア商人でもない、アナトリアの先住民族であるプロト・ヒッタイトによって、アナトリアの地で「独自に」始められたのではないか――そう考えざるを得なくなったのです。

 

図7

 つまり、No.3No.5の発見は、鉄の使用開始時期を数百年引き上げる大発見だったのです。2005年の結果(紀元前19世紀頃)を300年、製鉄開始の通説(紀元前14世紀頃)を800年も前倒しする発見です。それにもかかわらず、新聞がそうとはっきり書いてくれていないため、インパクトが弱まってしまっているのが何とも残念です。

 中近東文化センターからは、No.5の分析に使われた鉄剣と鉄滓の写真が提供されていますが、それを見ると、ほぼ4000年前の古代の鉄剣は、その刃の跡をくっきりと見せています(図7;朝日新聞電子版より)。

 それにしても、こんな小さな鉄滓を、よくも見逃さないで発見できたものです。日本で遺跡を発掘する場合、水田を知っているからこそ、水田跡だと気づくのだそうです。きっと、発掘の総指揮を執られている中近東文化センターの大村幸弘(さちひろ)・アナトリア考古学研究所長が、その著書『鉄を生みだした帝国――ヒッタイト発掘』(NHKブックス)からも分かるとおり、鉄をひたすら追い求める方だったからこそ、目に留まったのでしょう。

 新聞は、この分析結果に関する赤沼英男、大村幸弘両氏の言葉を載せています。

 〇赤沼氏:前回は別の場所で作られた鋼が持ち込まれた可能性もあったが、今度は炉の一部とみられる粘土片や原料も見つかった。鉄にかかわる生産活動が行われていた可能性は高い。(No.3に関して)

 〇大村氏:鉄の生産はアナトリア半島で独自に始まり、後に北方から進入し征服したヒッタイト人が武器として利用し、その技術を秘密として守ることでオリエントに覇を唱える帝国を築き上げたのだろう。(No.5に関して)

 定説は覆りました。追い求めた鉄の起源は、遂にここまで来たのです。

 ●図7の本物の写真と本文(1)⇒「世界最古の鉄剣 トルコで発見 ヒッタイト起源説覆す」(朝日新聞2009年03月26日)

 http://www.asahi.com/national/update/0325/TKY200903250414.html

 (この記事は現在削除されています。ご覧になりたい方はこちらをどうぞ⇒ 当時の記事

 ●図7の本物の写真と本文(2)⇒「世界最古の鋼と判明 トルコ遺跡の鉄器」(ZAKZAK 2009年03月26日)

 http://www.zakzak.co.jp/top/200903/t2009032645_all.html

 

覆された製鉄の起源(7)(6)

 

4.冒頭の表No.2No.4の分析:隕鉄と人工鉄

図8

 もうひとつの問題は、加工される鉄が、人工鉄か隕鉄かということです。岩手県立博物館の赤沼英男学芸員によって分析されたNo.2の鉄剣(BC1950~BC1750)は人工鉄ですが、一方、それより350年ほど古いNo.4の剣(図8、BC2300年頃)は隕鉄でできていることが、東京理科大の中井泉研究室によって確かめられました。

 この華麗な剣は、アンカラ郊外の王墓で70年前に発見されたものです。全長約30センチ(刀身約18センチ)で、柄と鞘は純金製。死後の世界で使う道具として作られました(2008年9月3日のMSN産経ニュースより。写真も同じ)。この記事の時点から<70年前>とは、1938年です。同じ文化層の王墓から、隕鉄製のピンと鉄片が出ているため、この剣も以前から隕鉄ではないかと考えられていましたが、確かなことは解っていませんでした。

 日本分析化学会への寄稿文(展望とトピックス57回年会版)を読むと、東京理科大チームは、地球の鉄にはニッケルがほとんど含まれていない点に着目。新規に開発したポータブル蛍光X線分析装置をトルコのアナトリア文明博物館に持ち込み,その場で分析を行いました。非破壊で高精度かつ綿密な分析を行い,化学組成の全容を解明した結果、7%のニッケルが含有されていたことから、この剣の材料は隕鉄らしいと判断したわけです。

 隕鉄というのは、文字通り空から降ってくる隕石のことです。シュメール語では、鉄は「天の金属」と呼ばれていました。人間の鉄との付き合いは隕鉄から始まり、やがて人工的に鉄を作り出す技術を会得したというのが通説ですが、疑問に思うのは、500年間続いた文明を支えきれるほどの量の鉄隕石が落下するものだろうか、ということです。

 これは誰もが同じであるらしく、これまでにも色々なことが言われています。たとえば、田口勇『鉄の歴史と化学』裳華房(1988)によると、1966~1970年の5年間に地球上に落下し発見された隕鉄数は11個、1年間に落下する隕鉄の数は約1個程度だそうです。
一方、村山定男は『万有百科大事典 宇宙・地球』で、1日に数個、1年では2000個程度の隕石が落ちており、隕鉄は年間に約百数十個ほど落下していると推測しています。それゆえ、隕鉄を利用し始めた古代人にとっては、地球誕生以来40数億年分の隕鉄が存在していたので、量的には十分なものがあったというのです。

図9

 そう言われれば、隕石には確かに巨大なものがあり、アメリカのキャニオン・ディアブロ大隕鉄孔周辺の破片量は30トンにも及びます。30トンの隕鉄から、東京理科大チームが鑑定した刀身18cmの鉄剣と、有名なあのヒッタイトの軽戦車(図9)が、一体どれほど作れるものなのでしょうか。

 ●図8の本物の写真と記事⇒「4300年前…最古の鉄剣の謎解明 原料は隕石だった!」MSN産経ニュース(2008年9月3日)

 http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080903/trd0809030129000-n1.htm

 ●東京理科大チーム・中井泉研究室の報告(1)⇒「世界最古の黄金装飾鉄剣に使われた鉄の起源を探る」

 http://www.jsac.or.jp/tenbou/TT57/P9.html

 ●東京理科大チーム・中井泉研究室の報告(2)⇒「先端的X線技術の考古学への」応用

 http://www.ch.kagu.sut.ac.jp/OK/nakai/top/toku02.pdf

覆された製鉄の起源(8)(7)

 

5.冬の季節風を利用した製鉄

 愛媛大学のシンポジウムによると、この華麗な鉄剣が出たアラジャホユック遺跡の紀元前1600~1400年代の地層から、大量の鉄滓(てっさい)が出土しました。鉄鉱石から鉄を取り出せるようになっても、強い風を必要とする製鉄を行なうには、人は季節風に頼らなければなりませんでした。

レバノン杉のなくなった山

 前述の、大村幸弘(さちひろ)『鉄を生みだした帝国――ヒッタイト発掘』(NHKブックス)によれば、アナトリアの製鉄の季節は冬でした。山の斜面に炉を作り、10月から春にかけて定期的に吹いてくる強い季節風を利用し受けやすいようにして、製鉄を行なったのです。冬こそは、ヒッタイト人にとって製鉄の好機でした。夏の間にその時までに、人々は大量の炭と薪を用意しなければならず、冬が来て、いざ製鉄が始まると、三日三晩炉を燃やし続けなければなりませんでした。

 製鉄炉をひとつ持つと、燃料となる木炭を得るために1800ヘクタール以上の山林を必要とするそうです。1ヘクタールは 10,000 ㎡です。甲子園球場のグランドの広さが13,000 ㎡ですから、途方もない広さです。このように、地球環境の観点から見ると、製鉄は、レバノン杉を切り尽くしたシュメール人の後を受け、森林荒廃への道を開いてしまうものでもあったのです。

 こうしてでき上がった鉄は、大変な貴重品として金の5倍、銀の40倍で取引されました。この技術を、ヒッタイト帝国は独占しました。紀元前2200年頃、先述の華麗な隕鉄剣を製造した先住民族を滅ぼしたルウィ族を追い出して、焦土と化したアナトリアに侵入したヒッタイトは、生きのびたその先住民族の製鉄技術を独占して門外不出とし、やがて古代オリエントに覇を唱える大帝国となっていくのです。

覆された製鉄の起源(9)

 

6.トルコと日本の架け橋となる鉄

 そして2009年、中近東文化センターによるカマン・カレホユック遺跡の発掘も、24年目を迎えました。大村幸弘(さちひろ)・アナトリア考古学研究所長は言います、「一番下の文化層に達するにはあと30年はかかるだろう。トルコの皆さんの協力を得、地元と共存する形で、腰を据えて調査を続けていきたい」と。2010年には、日本のODAによって、カマン・カレホユック考古博物館がオープンする予定だそうです。

 その丁寧で誠実な仕事ぶりによってトルコ政府からの信頼を得、大村教授の指揮の下、日本の発掘隊の仕事はまだまだ長く続きます。何と誇らしいことでしょうか。これからも、人間の歴史に貢献する数々の発見報告がトルコの地から聞けることを、心から願って止みません。

 あなたが私に書いてきた良質の鉄に関してでありますが、良質の鉄は、今キズワトナの私の倉庫では切らしております。[以前]書きました通りに、今は製鉄には悪い時期なのです。……できあがりましたら、私はあなたに [良質の鉄を] 送りましょう。今日のところは、私はあなたに一振りの剣を送ります。
(キズワトナ文書より)

 ●カマン・カレホユック考古博物館⇒ 「トルコ遺跡 友好も発掘 カマン・カレホユック調査23年目」朝日新聞(2008年10月4日)
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200810040085.html

 ●愛媛大学古代鉄文化研究センター国際シンポジウム「鉄と帝国の歴史」http://mutsu-nakanishi3.web.infoseek.co.jp/iron4/0812ehime00.htm

 ●中近東文化センター付属アナトリア考古学研究所http://www.jiaa-kaman.org/index.html

 ●ヒッタイトの遺跡とその出土品は、こちらからどうぞ。http://www.mineprofs.org/info/research/SOMP-05-Research-Ancient%20Metallurg-Ozbal.pdf

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